【ハイアーリアリズム(仮称)の萌芽】    もどる



第1部 『脳とテレパシー』を読んで

 以下の文章は、『脳とテレパシー』(濱野惠一、河出書房新社(KAWADE夢新書))の要約です。本書で展開された考え方に非常に感銘を受けたので、これを「ハイアーリアリズム (Higher Realism)」と仮称することにし、私なりのキーワードを設けて、おのおのの切り口からこの考え方の概要をまとめてみました。
 ここにその要約を掲出した理由は、このすばらしい「思想」をコンパクトにまとめて、広く紹介しないではおれないからです。この本は十数年経ったいまも市販されているので、詳しい内容については本書をご購入のうえ精読してください。なお、文章そのものは本文からの抜粋というスタイルをとらせていただいています。

 

<波動としての存在>

われわれの身体も、世界のあらゆる存在とおなじように究極の実体などなにもないのだ。あるのは波動だけである。相互に関連しあう階層的な共鳴のパターンで、身体は織りなされている。

世界は無数の波動に充ち満ちている。それが共鳴し、収束したところにあらわれた一つの波動の集合体がわれわれの存在なのだ。波動が重なりあって濃くなったところがわれわれ自身なのだ。感覚器官を通して波動に満ちた外界とわれわれはつながっている。

 

<ホログラフィックな脳>

脳はホログラフィックな宇宙の全時間・全空間の情報を内蔵するホログラムの一部である。つまり人間の脳には、はるか太古の織り込まれている。世界と相互作用することでこの情報が鮮明化され、それが直接的な概念としてあらわれてくる。

では世界の相互作用とはなにか。あるがままの世界とふれあうことだ。空や風、雪や雲、土や花や木や昆虫、そういった世界とふれあうことで、あるがままの世界を自分のなかに蓄積してゆくことだ。

もし大人たちの強い管理化におかれることなく、世界との相互作用を豊かに体験できれば、子どもは爬虫類型の脳と原始哺乳類型の二つの古い脳に蓄積された情報をどんどん鮮明化してゆくだろう。母とこの間に存在するような深い交換関係(テレパシー反応)を、世界との間にもつことができるようになる。

 

<別の意識、別の世界>

われわれがふだんもっている日常的な意識は、じつはいわゆる意識というもののあらわれの一つにすぎず、その周辺にはまったくちがうかたちの意識が潜んでいる。別の意識が存在するということは、われわれがふだん経験する現実だけでなく、別の世界があるということだ。

 

<科学偏重主義の過誤>

現代文化が科学偏重である結果、生みだされたのが、環境破壊であり、食糧危機だ。核兵器、遺伝子操作、臓器移植や脳死問題など、すべてが科学偏重によって生みだされたものだ。

これらの問題にすべて共通するのは人間不在である。しかし、現代のこの状況は、精神的発達が途中で停止ししてしまったわれわれにとって当然の帰結でもある。そしてこのまま放置すれば、確実にわれわれは破局に向かう。

 

<発達プログラム>

発達プログラムとは、一言でいえば、精神的自己の純化である。そしてその最終目標は、さらに完全に純化することである。なにものにも依存しない、真に自立的な精神的自己(自我)を生み出すことである。

最終的な目標として「純粋な創造性」が生みだされるように、脳にそのことがあらかじめプログラムされている。われわれはこのプログラムにしたがって「純粋な創造性」に向かうのが本来の姿なのだ。

精神的自己とは自己感覚のことであるが、それは自覚の根源となる脳から派生し、思春期ではまだ部分的に依存するも、最終的には「純粋な創造性」(記号などの具体的な表現形態を必要としない純粋抽象のようなもの)を生みだすために、脳から完全に独立しなければならない。

 

<愛>

なにかを与えることが愛に結びつく。愛はすべてのものを結びつける力となる。愛は多様なものをより高次な全体へと結びつける力でもある。そして最終的には、創造過程そのものでもある。愛は創造につながるのだ。

愛とはけっきょく、具体的な相手を通し、反転させて、自分のなかにある愛を知ることで成熟する。つまり、具体的な相手から抽象的なものへのと反転してゆくことが成熟であり、発達なのだ。クンダリーニがこの反転を推進し、上位のチャクラをめざして精神的自己を具体性から抽象性へと上昇させる。

 

<精神発達>

脳は究極的には、宇宙を創造し揺り動かすエネルギー、すなわち全体性に合一するためにある。心を開くことに集中することで、やがてよち大きな存在にであう。それは宇宙であり神といってもよい。

われわれは一人ひとりは独自の存在だが、同時に宇宙と結びつく無数の波動に共振する複合体でもある。この全体性への合一こそが、真の創造性であり、精神的発達の最後の到着点なのだ。

 


 

第2部 『脳と波動の法則』を読んで

 『脳と波動の法則』(濱野惠一、PHP研究所)を読んで、濱野氏の前著の『脳とテレパシー』を超えるふかい感銘と啓発を受けましたので、ここに本書から注目すべき言説を抜粋させていただきました。
 本書は『脳とテレパシー』の「思想」をさらに徹底したものと捉えたらよいでしょう。これからの時代の新思潮を切り拓くに値するすばらしい「思想」なので、前著同様そのエッセンスをなんとしても紹介したいと思い、本書については内容をかいつまんで紹介さていただきました。
 なお、本書は現在のところ中古本市場から購入できますので、興味のある方は直接入手されて精読されてください。
 ところで、以下の文章は著者の「思想」のコアとなる部分を同書から適宜抜粋したものですが、一部の漢字表記をひらがなにしたり、文末の表記を簡素化したり、句読点の位置の変更を加えています。ただ、これはあくまで読みやすさを口上するのための文章表記上の一部改変であり、文意自体に影響はありません。
 なお一部に、抜粋の関係上捕捉説明をするためにあえて付加している文章があります。それは文頭に(※)を付していますのでご留意ください。


 

     『脳と波動の法則』(濱野惠一、PHP研究所)

 

第1章 心の働きは宇宙との共生が生みだした

 ガイア仮説は、地上に生きるもののみならず、土壌から海洋、そして大気組成までを含む地球の総体を、一体性のある生命のシステムとして捉え、そこに「地球というシステムの心」を認める。

 私たちは宇宙のなかで、大いなる他との連鎖と共生という、総括的な秩序のなかで生きている。

 子どもは動物や植物と戯れたり、自然のなかで泥んこになって戯れることが大好きである。そのとき、子どもは宇宙も体験しているのだ。


第2章 脳を仲介して宇宙とつながる私たち

 脳をホログラムに例えるならば、脳は感覚器官を通して、写像対象にあたる宇宙の根源的な一次的現実からの情報エネルギーの波動形態(パターン)を、フーリエ変換によって分析・解釈し、記憶をホログラムと同じようにして内蔵化するのである。
 それによって、実際のホログラムと同様、脳の各部分に記憶の全体が干渉縞のように分布されているのである。具体的な神経レベルでいうと、それはシナプスでの電気的ポテンシャルの変化として説明できる。

 私たちの脳は、時空を超越した一次的現実を連結しており、その一次的現実からのエネルギーの波動を感覚器官を通してフーリエ変換にょって脳に伝達する。そして脳にそれまで記憶として内蔵された、一次的現実の波動のミニチュアと照合し、合致した波動を外界に投影することで、実体のある具体的な現実を創りだしている。((※)プリブラムのホログラフィー理論)

 宇宙のホログラムの断片である私たちの脳は、写像対象に相当する一次的現実からのエネルギーの波動(量子のスープ)と感覚器官を通して接することで、脳に内蔵されているそれらのミニチュアと照合・解釈し、外界に該当イメージを投影することで、日常を具象化している。

 つまり、私たちの日常的現実は幻(マーヤ)にすぎず、私たちの周りに広がっているのは、じつは茫漠とした波動の共鳴からなる波動領域である。この意味で、プリブラムの言う「境界はない」のである。


第3章 すべては量子の波動である

 空間のあらゆる点は他の点と同じであり、「非局在性」なのである。

 相互結合性の結論から導かれたこの非局在性の概念が意味することは、ある現象の原因が、たとえ粒子間の動きであっても、すべてのものは全体としての宇宙と分かちがたく結びついているので、その原因は現象そのもののなかに存在しないということを示している。
 これは、私たちの住む本当の現実のなかには、それだけで存在しているというものはあえいえない、ということを表している。私たちを含めたあらゆる事象がともども、一体性のなかに包み込まれているとこを意味しているのである。
 だから、すべての事象が個別的な粒子の形をとるならば、二つの粒子の相互作用は、一つの分割不可能な連結状態という関係性を構成することになるのだ。つまり、いったん結びつくと、宇宙の果てまで引き離されても、一方に変化が生じると、他方も瞬間的に応答する関係性が生まれるのである。

 「関係性こそ非局在の証し」。物理学者ベルによって数学的に証明され、ベルの定理と呼ばれる。ある現象の原因がその現象のなかには存在しないという、非s局在性の空間概念の基となったこの関係性の存在が、量子物理学で提起されたのは20世紀前半であった。

 ベルが厳密な数学的解釈に基づいて引きだしたこの「遠隔系の量子結合」の証明の意味するものは、まさに空間が非局所性であることを示すものである。
 (※)ベルの定理(Bell's theorem)…どのような隠れた変数を用いても,局所性を満たす限り,量子力学の統計的予言のすべてを再現することはできない.(Wikipediaより引用)

 物理的実体とは、通常のエネルギーの態様である波動でのエネルギー交換という相互作用を通して、波動が粒子様態となって表現され(相補性の関係・相補的関係性)、それらの粒子間で引き合う力が力が生じる結果、つまり共鳴という引き合う力による連結状態が生じる結果、エネルギーの波動が具象化したものである。

 私たちの心と外界の具象の両者は、けっきょく一つの秩序から出現するものなのだ。この秩序を生みだす全体とは、宇宙を構成する一次的現実のエネルギーの波動という量子スープである。

 交差する無限の波動に満ちている宇宙は一つのホログラムであり、宇宙のドの部分もそのホログラムの断片であると考えられる。そこには、宇宙の時空に関する全情報がすでに含まれていることになる。この統合性の力(織り込まれた秩序)が共鳴力による連結状態を生み、具象化を促す潜在的可能性となる。

 ある相互作用がいちど波動間で生起すると、それ以後その相互作用のパターンが他のパターンよりも生じやすくなる。言い換えれば、その作用に関連した場が発現するのである。そしてそのことが繰り返されると、それがまた場にフィードバックされ、場の影響力はますます強められることになる。

 累積記憶とは、世代から世代にわたる長期間、相互作用の繰り返しによって形成された、強力な場のこと。最初に場を発現させた個人が死後もその場は存続し、次の世代に承継される。

 場としての心が心の本体である((※)ボーム理論およびプリブラムのホログラフィー理論)

 きっかけがなんであれ、ある相互作用がいちど波動間で生起すると、それ以後その相互作用のパターンが、ベルの定理にしたがって、他のパターンよりも生じやすくなる。言い換えれば、その作用に関連した場が発現するのである。そしてこのことが繰り返されると、それがまた場にフィードバックされ、場の影響力はますます強められることになる。

 個々の具象の表現形態は、あるきっかけによる相互作用を通してそれぞれのM場(形態形成場)に形成され、その形成結果である表現形態はいちど形成されると、その後そこにずっと維持される。再度その相互作用が生起するたびに、場にそれがフィードバックされ、そこで既存の表現形態と「形態共鳴」が起こり、かつそのM場の非物理的影響力も強まり、同一の表現形態がますます表れやすくなる。つまり、その場にある種の内蔵された記憶ができるのだ。

「現在は過去の現前であり、宇宙に見られる規則性は一種の習慣のようなものである。もちろんこのような過去からの影響は、一定不変なものではない。場同士の相互作用を通して互いに変容し、新たなM場ができることで進化していく。」((※)シェルドレイクの言による同理論の核心部分)


第4章 波動と脳の共鳴が現実(リアリティ)を創出する

 私たちを取り巻く一次的現実を構成するエネルギーの波動というスープの素材が、私たちの脳を通して、多様な経験を生みだす基となっている。言い換えれば、同じスープのなかに、私たちの日常生活で一人ひとりの体験するすべての現象が含まれているのである。この意味で、すべての体験の潜在的可能性はこのスープのなかに存在し、知覚されるのを待っているといえる。

 私たちは潜在的にすべてを知っている。

 現代の量子物理学理論の方程式は、宇宙のあらゆる部分に全体が含まれていることを実証している。そしてこの科学的知見は、私たちが波動の軌跡として存在し、その影響は時空の果てにまで及んでいることを示唆するものである。

 私たちが体験する現実の万象は、すべて一次的現実の量子のスープから発生したものである。この意味で量子のスープは、脳を介して具象を最終的に生みだす素材であり、根源的生成力であるといえる。

 根源的生成力である量子のスープは、万物に共通に作用する普遍性をもっているが、同時にその作用は、神経系の進化の度合いに応じて極めて個別的でもある。

 私たちは自分の脳内で、量子スープから創出し体験しているのである。言い換えれば、脳の進化に応じて、そのスープから引きだす程度は限られてくるのだ。もし私たちの脳が、将来、より発達・進化すれば、いまよりも多数の情報を量子スープから解読できるようになるであろう。

 脳内の場と同等の場が外界にもあり、それらが無数の物理的実体といわれるものを生みだしている。星やそれを取り巻く衛星、自然の山や樹々、私たち人間や私たちの脳そのものも、外界のそれぞれのエネルギーの波動の場で、類似した波動同士が共鳴しあって具象化した結果であると考えられる。したがって、このような外界との場同士のレベルでも同様な共鳴作用が起こることになる。

 私たちは自分の脳内にある無数に近い神経の場と、外界にある一次的エネルギーの波動からなる、無限の可能性の場に囲まれて生きているのだ。私たちが信じている体験的な現実認識は、実際は私たちの脳が外界との相互作用での共鳴・同調の結果、創出された現実なのである。

 量子物理学は、物理的実体をこれまでのように独立したものとして捉えるのではなく、それと私たち観察者との場同士の究極の相互作用そのものを、「存在」として把握するよう要請しはじめたのである。

 知覚とは、私たちの脳が一次的現実のさまざまな波動のなかから、必要な情報を得創出することを意味する。

 私たちの脳には無数の神経の場があるが、このような特定な神経細胞群からなる場が、根源の量子スープを具体的な私たちの日常体験に換えるのである。これは結局、この神経の場と量子スープの根源発生力は、本質的には異るものではなく、脳自体のなかに全体としての根源的生成力が神経の場として内蔵されていることを示唆している。

 私たちは、遺伝子に書き込まれた全情報を小型化し凝縮して、部分である精子や卵子のなかに内蔵している。私たちの体細胞や植物の種子の場合も同じことである。私たちはこのような例に満ちた世界に住んでいる。
 この事実は、心の実体はホログラフィック構造によって階層性をなしていることを示している。したがって、心の働きは、個々の脳機能の特徴であるばかりでなく、宇宙の生態系そのものの特徴でもあるという結論にいたる。

「心が脳を超えた情報源を持っているとすれば、私たちと対話する何かが存在する。私たちはこの何か、あるいは何かにつていてのあらわれを独断的に私たちに似せようとする。つまり、私たちの創りあげたシミュレーションを未知の源から私たちにはいっている情報に投影するのだ。」((※)ジョン・リリーの言)

 私たちの脳は、ホログラフィー理論が主張するように、私たちと宇宙を繋ぐための心の階層性の変換器とみなすべきだろう。

 心は一体どこにあるのか。私たちの心は、脳に局在するものではなしに、宇宙に各々の心の働きの場として内在する。各人の脳の場と宇宙空間に存在する場同士が、共鳴・同調することで心の働きを顕現させる。さらに宇宙の場は、その個人の死亡後も存続・承継されることが明らかになっている。
 この知見に基づいて生まれ変わり現象を考えると、何らかのきっかけで、宇宙に存続する個人の人格の場にアクセスし、場同士の連結が生じた結果であると説明できる。

 遠隔視実験では、「送り手」の視点を通して情報を受け取っているのではなく、「受け手」たちは自分の視点を移動させることができ、「送り手」からは見えない光景も説明することができる。
 これは、遠隔視実験の実体そのものが「送り手」と「受け手」で構成される独自の一体性の条件となり、それが引き金となり、場つまり一つの全体として作用し、通常の時空の概念を超えた、ベルのいう遠隔系の結合を現出させていると考えられる。

 場同士で生じた共鳴的連結状態の関係性は、いちど形成されると関係性が強まることはあっても、それが解消されることはない。また、たとえ互いの場を空間的にどれだけ離したとしても、その関係性は維持される。
 それはベルの定理から、私たちの住む一次的現実は、非局在的なものであり、すべては継ぎ目のない階層の全体からなっているからである。つまり、いったん結びつくと、宇宙の果てまで引き離されても、一方に変化が生じると、他方も瞬間的に応答する関係性が生まれるのである。

 一つの具象を形成している粒子群の状態に変化が起こると、ベルが証明したように、その波動の場が変化し、その影響が関連のあるもう一つの粒子群の波動場に同時瞬間的に及び、それの状態をも変化させ、新たな関係の場を想像するのである。

 すべての粒子がベルの定理に従うのではない。それは共鳴によってできた、連結状態の波動場や共鳴する場相互での粒子群同士に限られる。それがベルの定理でいう一体性を形成する条件となって具現化するので、この条件がなければ、このような一体性は生じない。要するに、私たちの体験している現実は、私たちの脳が独自な方法で波動を解読することで創出された現実であるということである。
 そして私たちの日常体験は、この根源的生成力のスープから生みだされ、その体験結果はふたたび根源のスープにフィードバックされ、根源的生成力である量子が体験結果と共鳴して、協調的に変化する。その変化に対して、今度は私たちが適応していくという、この連続性をもった究極の相互作用こそが私たちの知を生みだすのである。
 したがって、根源的生成力の量子はさしずめ知の原卿(ふるさと)といえる。同時にこのことは、私たちがこの根源的生成力の量子から、たんに情報を汲み取っているということだけではなしに、場同士の究極の相互作用を通して、情報を新たに創造しているのであることを教えている。
 つまり、この科学的知見が示唆するものは、私たちの経験が前もって量子のなかに決定されたようなものであるといっているのではなく、むしろ私たちのなす経験は私たち自身が創出するものであることを意味しているのである。

 量子スープは私たちの脳が介入して、体験として具象化するすべての根源となるものである。量子スープと脳のこのような関係は、波動と粒子間に見られるのと同様、完全に相補性なのである。このような相補性は、すべての生物の基となっている。言い換えれば、これは「構造的連結」なのである。

 私たちは場を経験し、その経験がふたたび根源の場にもどされ、その場を調整し、私たちがまたそれを体験する。この連続性のなかで、私たちの真の心の働きである知は発達していく。まさに「天地照応」((※)互いに二つは首尾対応している)がこのような究極の相互作用であり、それが真の意味での知なのである。
 結局、私たちの感覚器官で知覚する世界は本当のものではなく、私たちが創出する自分自身の手になる芸術作品なのである。つまり、私たちは見える通りにものを見ているのではなく、見たいと思う通りにものを見ているのである。


第5章 進化のプロセスを内包する脳

 三層の知的システムである私たちの脳((※)以下はその要約)
(1)爬虫類型脳…脳幹。私たちの個体維持と種族保存に関する基本的生命活動のための知的システムである。
(2)原始哺乳類型脳…大脳辺縁系。外界からの情報を原始哺乳類型脳を介入させることで、その情報に感情の基本的な次元である、わくわくするような明るい気分と真っ暗な失望感を両極端とする尺度上で情動的な着色がなされる。私たちが体験する夢や直観や空想なども、原始哺乳類型脳が他の脳との連携結果によって生みだしたものである。
(3)新哺乳類型脳…大脳皮質。頭蓋の二倍強の大きさがある。この脳は、知性・創造的思考・抽象的思考などに代表される精神機能や、共感・愛・同情などの複雑で高次な感情に関する知的システムである。
(4)上記3脳を支える神経上の車台として、脳幹下部・中脳・脊髄がある。((※)以上、要約終わり)

 見るという行為は、私たちが非実体の量子からなる一次的現実のレプリカ(複製)を見ているのではなく、私たちの脳に遺伝的に継承された進化過程で獲得した、量子を統合して有用な情報とする手法である場を通して、脳内でそれらを創造しているのである。その結果が私たちの意識的経験なのである。

 私たちの脳は、これまでの進化のプロセスを内包しているのである。そしてその進化途上で、経験を通して獲得した無数の場が、三層の脳の各層に世代から継承されているのである。
 さらに驚くべきことには、この過去の進化プロセスを個人のなかで青年期までに再体験し、成人期以降の生涯では、今後の未来の可能性を開発するよう脳内にプログラムされているのが、私たちなのである。つまり、心の発達の遍路は、その進展順序のタイム・スケジュールが私たちの脳に遺伝的に組み込まれているのである。

 私たちはこのような豊饒な知をもって出生し、その無限に近い潜在的可能性を充分に表現したいという衝動に突き動かされて、一生発達を続けていくようになっているのである。


第6章 心の発達は約束されている

 私たちの心である知は、そもそも基本的には「生命」を基礎にして出現したのである。そしてそこでの生命情報を受け継ぎながら、進化することで、その基礎にある「生命の可能性」そのものを高めていくため、宇宙によって設計されたものなのである。私たちは本当に宇宙の仕組みの一部だということを忘れてはならない。

 私たちは究極の心の発達に向かうように設計されているといえる。自我を滅却して神の御心(ホログラフィー理論でいう織り込まれた秩序)に共鳴(合一化)すれば、ボーム理論でいうように、時空に関するすべてのエネルギーの織り込まれた秩序は、開示された秩序に転換される。聖書にある神の御心は時空を超えて、あらゆる瞬間に内在している。

 私たちの三層の脳は、ただ物事分析したり、記憶したりする、消極的な知のためにあるのではない。私たちの脳は究極的には、元因場である全体性に合一するためにあるのである。とくに、新哺乳類型脳の大部分が未使用であるという事実はそのことを傍証している。新哺乳類型脳は、他の二つの脳と独立して機能することが可能なように、神経的連絡が設計されていることもその証左の一つといえる。

 宇宙がホログラムと同じ原理で構成されているとするホログラフィー理論によると、宇宙は個々の部分的断片の集合体ではなく、一つの不可分の全体として考えられる。私たちを含めたすべての部分も、全体を構成するのに充分な情報をもっているのである。
 全宇宙の構造が、各部分のなかに包含されているのである。だから私たちの一人ひとりは、全体である神とつながっているのである。

 私たちはあれこれと考えたり、理屈をこねまわす必要はないのである。具体的プロセスに存する自我を滅却して、心を開き、自己の内なる神の導くままに従えば、全体という神に出会えるようになるだとう。
 私たち一人ひとりはたとえどんない不完全であっても、各人の中心には、全宇宙をつらぬく運行原理の完全な波動が存在するのである。私たち一人ひとりは独自の存在でありながら、同時に、私たち自身派宇宙の運行原理である。
「織り込まれた秩序」と結びついた、無数の波動に共鳴する複合体である。ウ通はこの秩序のもとに、完全な調和を保ち、無限の命を支えあっているのである。私たちはそれに気づかねばならない。そして、支えあいのなかに自分自身を溶け込ませるのである。
 この全体性への合一こそが真の創造性であり、宇宙によって私たちに求められている、心の究極の到達点である。

 この完全な波動に共鳴しようとする行為は、私たちの体験を一変させ、私たちの周りの世界をも、何らかの形で変えてしまうのである。この行為を私たちに求めるために、宇宙は私たちの新哺乳類型脳を他の二つの脳とは独立して機能できるようにしたのであろう。


終章 現実にとらわれないとき真実が見える

 既存の形骸化しつつある現実認識は、いまも教育を通して唯一無二なものとして、現代の私たちの頭に強固に教え込まれている。その結果、この行き詰まって固定化した現実認識は私たちに一種の思考的視野狭窄をもたらし、いろいろな弊害が現われてきている。特にそれは現代の若者に顕著な影響を与えている。
 その原因は、この既存の認識の基調には、ある経験が本物であるには、感覚的刺激から生じる経験だけが真実であるという考えがあることに起因する。ということは、これは経験が真実であるためには、刺激源が外界似なければならないことを意味している。そうでないものはすべて現実ではないということである。これが即物的な考えを生みだし、様々な弊害の元凶になっているのだ。
 多くの若者たちは、この教え込まれて固定化した現実認識の信念体系に縛られながらも、それに直観的になにか充たされあいものを感じ、無意識に反抗している。それが若者たちの無関心・無感動現象を引き起こしているのである。

 生命は個人の一生で終わるものではなく、連続性をもっている。一生を通して進化・発展することで、自分の生命の可能性を高め、時代の自分にそれを委ねていくのである。生命は連続しており、個人の生涯のどの時期も、進化・発展のための大切な段階であり、あるがままにそれらの時期で自分の生をまっとうすることが、次代の自分の生命の可能性を高めることにつながるのである。

 私たちは既存の即物的な形式化した現実認識に囚われて、それを通して自分で退屈な世界を創りだして、そのなかで自分の創った世界に倦怠(アンニュイ)を感じていることが多い。現実とは、ただ私たちが既存の認識に囚われずに、異った現実認識があることを知ったときにのみ、その現実は一変して異ったものになるのである。

 どこまで、より豊饒な現実を創出していけるかは、意味のある現実認識を自分自身で見いだせるかどうかにかかっている。なぜなら私たち人間は、自分の信じている現実認識以上には、世界を解き放ちえないからである。そして、自分の「内なる声」に静かに耳を傾ければ、それをいちばん強く望んでいるのが、自分の脳であることが分かるだろう。
 結局は、私たちの「脳が宇宙素創出している」のである。

   ((以上、紹介終り))


【参 考】
カール・プリブラム(大脳科学者)と脳のホログラフィー理論
デヴィッド・ボーム(理論物理学者)と「織り込まれた秩序」「開示された秩序」
ジョン・S・ベル(物理学者)とベルの定理…ある現象の原因がその現象のなかには存在しないという非局在性の空間概念
クルート・レヴィン(形態心理学者)と心の場理論…場の概念を心の働き全般に適用
ルパート・シェルドレイク(生科学者)と形態形成場(M場)理論…場同士の相互作用を通じてたがいに変容し新たなM場ができることで進化




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