天皇制下の実効支配原理

 

 農民(被支配・隷従・生産活動)、貴族→武士(支配・忠義・実効権力)、天皇(擬制的権力=空洞)。天皇制は、島国の稲作文化による協働共同体国家における民衆支配のための効果的なシステムである。万世一系であることは、その擬制的権力自体を正当化するものであると同時に、集団統治体制における実質的支配者たちの実効支配をオーソライズする役割を演じる。これは、地理的・文化的に閉鎖的な集団主義社会における実効支配の維持のためのもっとも効果的な支配システムである。
 昔から(多分その出現当初から)ホモサピエンスには、歌い踊り描き祈る能力のほかに、ことばを使って物語する能力も備わっていたと思いますが、おそらく物の交換を基礎とした数的処理能力も備わっていたと思います。もともと欲深いホモサピエンスは、その貪欲さを磨いていき、貨幣という記号を産みだし、それによって、目の前の数えられるものから「数」の概念を発見し、零を発見し、ついには4大文明を発祥させるまでに至り、ギリシャ文化を核としたヘレニズムの文化的熱狂の残響を近くに聴きながら、中東の1弱小民族の宗教に過ぎなかったユダヤ教の延長線上にキリスト教が開花したことにより、今日の「科学」の基礎が準備されたといってよいでしょう。
 こうしてみると、ホモサピエンスの進化の歴史は、左脳の発達の歴史といっていいかもしれません。右脳的(直観的・イメージ的・情緒的・空間認識的)な働きが大半を占めていた古代人の脳の働きに対抗して、延々と左脳的(自己認識・言語表現・計算能力・論理操作・対象分析・記憶の整理)な働きを増殖させてきた歴史。しかし、脳のキャパシティは限られているから、右脳的な働きがまさしく脳の右半分のみに封じ込められ、今もなお抑圧され続けている。そんな「イメージ」がします。
 さてしかし、左脳ばかり発達させたら、いったいどんな頭の形をした未来人が登場するのか、なんとなくぞっとするわけですが、井上君はそこらあたりの不気味さを、敏感に感じ取っているんでしょうね。新しい世代が再生産されるたびに、ホモサピエンスの骨格は少しずつ変化していると思います。脳も同じように、その機能を前世代よりも微妙に変化させているはずです。幾世代にもわたってそれが繰り返されていくと、おそらく信じられないような子孫たちの社会生活が営まれることになるでしょう。
 そのときに、古代人も現代人も未来人も変わらない普遍的なものがあるとすれば、それはなんなのでしょうか。外見的には、二足歩行と頭部に脳と眼があるということでしょうか。体形は相当違っているでしょう。内面的には、内に秘めた凶暴性とそれを封印する愛への意志が依然として拮抗しあっているでしょう。もし、これがなければもはや「人間」とはいえないでしょうから。
 ところで、いまぼくは、古くて新しい「天皇制」の解釈とその機能分析 (とりわけ問題点の摘出)について、作業をすすめています。天皇制は、日本という国の特殊性の基礎をなしているのは疑いようがありません。日本教は神なき人間教の世界ですが、現代日本における天皇制は、善かれあしかれ社会規範のスキームを形作っている「匿名」の統治システムです。ウォルフレン教授の言う「システム」とは、究極のところでは、天皇制という統治システムにたどりつくのです。これについては、これから自分なりに明確なものにしていきたいと思います。
 とりわけ、現代日本社会の病根を支えているのは、とりもなおさず、現行の「象徴天皇制」による暗黙のかつ中心が空洞化した統治システムの弊害によるものなのです。しかし、ぼくはここで浅はかにも、「天皇制を廃止せよ!」などと妄言を吐くつもりはありません。天皇制にはつねに功罪が同居しており、現代のこの隠然たる低迷には、罪(ざい)の部分の面目躍如たるものがあると思うわけです。
 その理由は、中心の空洞化した統治システムには、それ自体は統治に対して無責任であるために、かならずその周辺に実体的な権力を握る集団が存在し、これらの内部でつねに激しい権力闘争が繰り返されますが、彼らはもっぱら私利私欲によって権力を掌握しているにすぎないため、ここでも、結局のところ統治に関しては無責任なままです。さらに悪いことに、この淫靡な権力闘争の裾野では容易にアンダーグラウンドな勢力と結びついてしまうという悪弊を有しており、実はその悪弊自体をこの統治システム(象徴天皇という無責任な存在)が助長してしまうという皮肉な関係にあるのです。
 ご存知のように、日本経済の長期低迷と国としての実質破綻の状況は、一口で言えば、このアンダーグラウンドな勢力へ資金を垂れ流した結果であり、見かけだけの資本主義による日本型マフィア(ヤクザ)経済のとてつもなく貪欲な資産奪取に、政府自らがいまなお無責任に手を貸し続けていることの結果であり、現象なのです。日本における集団主義のエトス、実体語と空体語を載せた天秤の社会、「システム」の型枠が「無責任象徴天皇制」にほかならない世界。これらはすべて同じ「実体」を角度を変えて観た際の言い換えに過ぎません。そしてこれらは、いつも言っているように、数理的に表記可能です。これから本格的にその作業にとりかからねくてはなりません。
 ところで、補足的に言いますと、実体語は欲望・動物的生理的欲求そのものの記号化であり、空体語は理想・理念を記号化したものであり、ホンネとタテマエの図式化に他なりませんが、さきほどの例でわかりやすく説明すれば、実体語=欲望で、この国を取り仕切るライオンの一群とハゲタカ・ハイエナども。空体語は、象徴天皇制による「美しい国ニッポン」という図式になり、これが「世間」という天秤皿に載せられて、「人間」が「自然」の台座の上で支柱となり、片方が大きくなるたびに、皿がひっくり返らないようバランス保つために、まさしく右往左往している、という構図です。ちなにみに、この数式化は高校物理学の「力と仕事」の部門からアプローチすることができます。
 ここで本の紹介をしますと、実体語・空体語による天秤の世界につてのお話は、イザヤ・ベンダサン著『日本教について』で、つぶさに知ることができます(ただし絶版ですが)

2003.3.1 記す  

(参考)

日本   大陸

稲作   狩猟
集落   氏族   
島国   大陸
神道   基督教
天皇   国王・皇帝
象徴君主 絶対君主
集団   個人
察し   自己主張
心情   論理


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