賃金カットの理由と責任の所在

 

 当団体の「執行部」によれば、これまでの財政上の選択に「誤りはない」とのこと。にもかかわらず、現実には大幅な「赤字」が出ていますが、執行部がいうように無謬なら、当団体の財政運営は将来必ず赤字を発生させるシステムということになります。
 果たして、どこの世界にそんな財政制度があるでしょう。財政担当部局とその管理者の方々が現に存在し、その使途について常に「査定」を行っている以上は、財政運営上の「責任」が存在するのは明白です。これは天変地異の自然現象ではありませんから。
 したがって、これら責任ある人たちの「責任のとり方」の明示もなく、あたかも当団体の財政が突然の自然災害に見舞われたかのように、問答無用で職員給与のカットを行うことは、つまるところ、この人たちの責任を粉飾し、その失敗を安直に職員に転嫁することにほかなりません。
 なぜ、このような大幅な赤字が生じたのか。当団体の収入と支出の過去10年間のバランスシートを細かく点検すれば、その原因はおのずと分かるはずです。この原因には、国へ同調した景気対策としての出費と成功させなくてはならない一大スポーツイベントへの投資が相当大きなウェイトを占めていることでしょう。
 しかしながら、それらへの支出を決定する時点で、当然に財政上の大幅な赤字が予測されたはずです。もし予測していなかったと言うなら、予算の査定と決定に関与した人びとはそろいもそろって無能ということになり、この場合においても責任は明白です。
 したがって、上述の「責任ある人たち」は赤字転落を避ける方策を立てた上で、その範囲内で対応する責務がありました。しかし、その努力を行わず、安易な県債の大量発行などにより、結果として、職員給与までカットしなければならないほどに借金したわけです。
 当団体の(うちわたしたち非管理職である)一般職員と当団体の関係職員を含めた約2万5千人もの人々は、公務員であると同時に納税者(一般市民)でもあり、その給与は人事院勧告に準じて定められた「中程度」のものであり、日々の生活を支える貴重な収入源であるのです。給与カットまで強いておいて、いったいなんのための経済対策か、だれのための国体か、と問いかけずにはおれません。
 それでもなお、わたしたちの賃金カットも含めて立てなおしを図らなくてはならないとすれば、やはり、その前に行うべきものがあるはずです。「執行部」においては、「責任ある人たちの責任のとり方」を明示しなければなりません。
 わたしたち一般職員の給与カットは、当団体の財政の過去の収支経緯を検証しながら、この人たちがそれぞれの「責任」の度合いに応じて応分の負担を行ったうえで、なお不足があり、給与カットによる補填で大幅に負債が軽減する場合にのみ、一般職員としても立て直しに応じる用意がある、というべき筋合いのものです。
 ところで、当団体の執行部では、経済対策として主に管轄下の建設業者に投下された当団体の借金(国債のようなもの)を、一般「市民」の公僕(Civil servant)として働くわたしたち一般職員が穴埋めせよというわけですが、とすれば、結局わたしたちの日々の生活費を削って彼ら建設業者等の事業継続を支えたことになり、これはつまるところ、経済がすこしも浮揚していないことを執行部自ら証明しているだけのことです。
 納税者(一般「市民」)に対する基本的な責任として、執行部においてはこれからの当団体の財政の健全な運用を確立する責務がありますが、そのためには今回の財政危機を招いた経済対策のどこが間違っていたかを明確にすることがまず必要です。

 2000.10.25 記す


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