冠省

 昨秋の早朝の江津湖の写真を見ています。あの時の清々しい大気が、まるでI君の性格(気質)そのものであるかのように、二重写しになってぼくの内部に甦ってきます。

 数年ぶりに会ったI君は、学生時代とすこしも変わることなく、時間などいったい流れたのだろうかと思いくらいでした。

 ぼくは学生時代を終了して間もなく、いわば「進化」するのをやめてしまった男ですが、I君は、あの学生時代の「無垢」ともいえる心根をそのまま胸深く懐き続け、今でもなお棄てることなく「進化」させています。ぼくは、この確かな事実に、鮮烈な驚きを覚えずにはおれませんでした。

 I君はもって生まれた天凛の詩心を今やペンではなく、カメラアイに持ちかえて、自らの「初原」を探り当てようとしています。一方、ぼくは、25才でやおら「実社会」という名の、生きはいいがどこか味気ない世界を不器用な足取りで歩きはじめ、それから3年後には、早々と自らの「初原」を追及する努力を棄ててしまいました。その生活を択んで10年余りになりますが、君はこの同じ年月以上のタームを(ぼくと同様に不器用でありながらも)自らの「初原」の追及を棄てることなく歩んできたようです。その持続する志に、ぼくは今でも一種の感動を覚えます。そして、なんと希有な、優れた人がぼくを友のひとりとしてくれているのだろうと、つくづくと感じ入っているしだいです。

 ぼくは、勤めてこのかた、ぼくの周りに繊細な人、鋭敏な人を見いだすことなく生活してきました。いつかそれが、そのような人たちはいないのが当たりまえと思い込んでいたようです。しかし、I君と久しぶりに会い、学生時代と同じ精神状態で気脈を通じあったとき、ぼくの周りの人びとはおそらく、社会生活をスムーズに送るために、もっともやりやすい顔だけを見せて生きているのだな……と改めて確信するにいたりました。

 というのも、君の周りにいる人びともぼくの周りにいる人びとも、精神的傾向になんら変わるものはないことを知り、自分自身も含めて、もっとも無難な仮面をつけて身過ぎ世過ぎをしていることを、今更のように思い知ったのです。

 その点、君は、ぼくよりも自分に正直に(言い換えれば「誠実」に)身を処してきたのだなと感じ、改めて君の存在の中核をなしている強靭な詩心に感嘆しています。I君は、その生活が、もっといえば存在のありさま自体が詩心であるように思います。そして、君自身がこの猥雑な「実社会」のなかを、「産業人」ではなく「詩人」として処してきたことを高く評価します。

 しかし、2月初旬に受け取った手紙によれば、いわゆる「産業人」としての生き方を徹底しはじめたとのこと。ぼくは、これを知って、より一層高く評価しなおさなければなりません。というのも、強靭な詩心を基礎とした生活感情(人生観あるいは宗教観)と「実社会」での仕事に打ち込む積極的姿勢(自己実現の希求)とは、相容れないものではなく、むしろ両者が相乗効果をなして、きわめて説得力のある(したがって存在感のある)ひとりの人間(まさしく字義のとおり、孤立した「人」ではなく、「人」に影響を与えあるいは影響を受けつつ「人」と「人」をつなぐ意味での「人間」)として展開し、詩人Iとして開花していくのだなと直感したからです。そして、本来的に詩人である君の作品は、今後プロの「産業人」として取り組んでいくなかで、これまでのような「ことば」や「写真」よりも、清冽でかつ強靭な「生きざま」そのものに直接体現することと思います。

                                          不一 

   平成7年2月15日

                                            日暮 景より 

I 君へ

 

追伸:念のため、以下に括弧付きのことばの解説をしておきます。

「進化」  精神的な成長という意味

「無垢」  このことば自体の単なる強調

「初原」  自分はどこからきてどこへ行くのかという自己の存在へのこだわり

「誠実」  このことば自体の単なる強調

「産業人」 サラリーマン、自由業、会社経営者等々、資本の論理のもとで活動する人びとの総称

「詩人」  繊細かつ鋭敏な単独者でことばによる表現に長けた者

「実社会」 産業人が活動する場であって、一定の約束事(信用関係、契約締結等)を前提に、
      利潤追及のための取り引きが繰り広げられる資本の論理の場

「人」   ホモサピエンスのこと

「人間」  緊密な文化空間を生成しているホモサピエンスたちが、めいめいに自覚し

      ている自分自身と他者に対する個々のイメージを総称したもの

「ことば」 ここでは、詩的表現手段の意

「写真」  同上

「生きざま」生き方を追及した結果としてのライフスタイルのこと

 


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