なかなか考えさせるものがあったので、以下に全文を掲載します。ただし、最初の2行(冒頭3文+1/2文)は、状況設定の簡略化のため本文とは異なっています。


過労死問題の底にある共依存 

                          精神科医  斎藤 学(サトル)  

 

 読み解く道具

 電話があった。「私たちが知りたいのは、ケロシが生じるような日本のセラリメンの働き方だ」と言うBBCの女性記者の声。インタビューの申し込みだったがそれは断った。しかし、これを契機に数分のコメントを作ってみた。やはり日本人の共依存(コ・ディペンデンス)的な生き方について触れたものになった。

 共依存という言葉は、元来、アルコール依存にかかった人(たいてい男)の配偶者(多くは女)に見られるような一種特有の生き方を指すために作られた言葉で、しかも作った使ったりし始めたのはアメリカのカウンセラーやケースワーカーたちだった。ほんのニ十年ほど前のことである。そんなわけで最近になって精神医療といった狭い領域の中ではやりだしたバタ臭い専門用語の一つにすぎないように思われるかもしれないが、これが実は日本の社会で起こっていることを読み解く際の結構「切れる」道具なのである。

 共依存の病理の中核にあるのは「他人に必要とされる必要」である。「自分がいなければあの人はやっていけない」だから「私には生きる価値があると考えるのである。要するに基本的に自己評価が低い(自尊心が乏しい)のである。そして自分が世話する他人の行動を必死でコン卜ロールしようとする。そのために相手の感情(例えば憂うつ)を読みに取ってそれを癒(いや)そうとする。相手の欲求や期待を読み取って、それを満たそうとする。その結果自分自身の感情や欲求や期待を失っていく。ついでに言えば共依存者は嫉妬(しっと)深い。自分の世話する者の愛情が自分以外の者に向かうことは、自分が「生きる理由」を失ってしまうことになるからである。そういうわけで共依存者は自分が世話する者の自立や成長を心の底では喜ばない、喜べない。

 

 職場で滅私奉公

 アルコール依存者(いわゆるアル中)の妻の多くは夫をぺットのように保護している。夫が飲み過ぎないように見張り、飲み過ぎれば嘆いて愚痴を言い、そうしながらも会社に電話して「夫は風邪をひいた」とうそを言い、社会的に無能力な夫の低収入を補うために外で働き、病院や保健所へ夫の飲酒のことで相談に出向くのである。一方では育児し、掃除し、洗濯し、髪ふりみだして他人のために生きている。この女性には自分の世話をするための時間がない、自分のために使う金がない、自分の寂しさに向かい合う勇気がない、自分自身を保護してあげる能力がない。

 こんなふうに描写すると、それは「私のことだ」と思う女性たちがいるかもしれない。その通り、アル中という特殊状況を「仕事依存」つまり仕事溺(おぼ)れという日本の男に普遍的な状況に置き換えて考えれば、これは大方の日本の女性の生き方であり、だからこそ日本の精神科医や心理療法士には、これを病理と認識することが遅れたのである。

 そのワーカホリック(仕事依存者)たちもまた同じ病理を抱えている。ただし彼ら(男に多い)は家庭でなく職場で滅私奉公している。日本の企業はこうした滅私を前提にして活力を蓄え、それが日本の社会を支えてきたし、学校教育もまた、こうした共依存的生き方の鋳型にはまるように子どもたちを躾(しつ)けてきた。今更それを病理扱いされては当惑する人が多かろう。

 

 一種の白己愛

  日本の過労死問題の底にあるのは、この共依存である。見事なほどの利他主義に見えながら、実はこれは一種のナルシシズム(自己愛)である。日本のワーカホリックたちは共依存の温(ぬく)もりの中から落ちこぼれる恐怖に駆られて死ぬほど働くのであって、決して自分の能力を頼みに理想を追求する「タイプA」的な英雄主義者が過労死するのではない。タイプAというのは、心筋梗塞(こうそく)で倒れる人の人格傾向として、心臓病学者たちが作り出した用語で、その特徴は焦りと攻撃性である。

 日本人は他人の気持ちを顧慮しないで理想に向かって突き進むような人は大嫌いだ。そのような人が居れば、寄ってたかって中傷し、はやばやと引きずり降ろすから、大企業トップの老人たちにはそういう人はいない。政治家には多少いるようだが見ていると大変そうだ。心臓をやられて早死にするか、汚職絡みで足を救われるか、暗殺されるか、少なくとも今までは長く持たなかった。これからはどうなのだろう。

 

                     [平成6年11月6日(日) 熊本日日新聞掲載] 

 


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